第九話 木綿足袋が高級と言われる訳

足袋には大雑把に分けて化学繊維の足袋と木綿足袋に分かれます。
木綿足袋は大雑把に分けてキャラコ足袋とブロード足袋に分かれます。
キャラコとブロードの違いはキャラコが平織りなのに対してブロードは綾織と言う織り方の違いで、木綿であることに変わりはありません。
その中で、現在のところ、絹の足袋を除き、キャラコの足袋が第一礼装の足袋として使われています。
なぜなら、ブロードに生地は織り目が立つ為に着物の裾回しを傷める為に、平織りのキャラコの方が着物に良い事。
ブロードの綾織は光沢が出る事から、キャラコの平織りの方が落ち着いた風合いに見える事。
などの違いがその根拠と言われています。
基本的にナイロン足袋などは丈夫ですので普段履きとして使用する事が多く、縮まず、洗濯も簡単ですので需要は伸びています。
唯、絹の着物の裾回しを傷めることはご承知ください。

最近は足袋屋も少なくなり、場所によっては足袋の種類を選ぶ事も出来なくなってしまい、高級足袋の概念もその内に変わっていく事になるのでしょうが、
今の所、茶道、日本舞踊などで普段は逢う事の無い先生方にお目にかかる席や結婚式などでの新郎新婦や両親などは相手方の来賓などに“足元を見られないように”恥を掻かない程度の知識は持っておいた方が無難でしょう。


第八話 足袋の履き方の話(9月4日掲載)

よく、テレビ等で足袋の履き方を説明するとき、足袋を半分に裏返します。
足袋は基本的に、裏側で縫い合わされた状態のままなので、お洗濯後の足袋は特に縫い代が織り返されたままに為ります。
中で足が踊るような、ゆるい足袋の場合、縫い代が織り返されていても、さほど気に為りませんが、ピッタリの足袋の場合、縫い代を踏むと痛くて気に為ります。
又、カカトの部分も織り返されていると、足に違和感を感じます。
その為に、半分に返して、縫い代を元に戻してから履くようにすると、足にピッタリと吸いつくような感覚で履く事が出来る訳です。
ご来店頂いた時に、履き見本の足袋で試して実感して頂くのが最良ですが、どうしてもご来店出来ない場合、"ホームページを見た"とおっしゃって下さい。
足袋の履き方、お洗濯の方法などを書いた、『足袋のしおり』を差し上げます。

第七話 掛け糸の話(7月24日掲載)

掛け糸とはこはぜを掛ける為に縫い付けてある糸です。
糸とは言っても普通はタ凧糸の太さが在ります。
大量生産の足袋の場合、"掛け通し機"と言う特殊な機械でこの凧糸の太さの糸をミシンで縫いつけてあったり、もう少し手が込んでいると、糸をグシ縫いに縫いこんで、その上をミシンで押さえる止め方で押さえています。
当店の足袋は8番のミシン糸を4本撚りに撚って凧糸の太さを作ります。
これを、手付けで縫って行きます。 当店の足袋をお買い上げに為った時に糸の縫い方をよくご覧になって下さい。
糸があっちに行ったり、こっちに来たりして、掛け糸が動かない様に付いています。
この縫い方の欠点は、生地を寄せてしまう為、掛け糸部分がシワに為った様に見える事です。
特にお洗濯後に生地が縮む為、余計シワに為った様に見える事です。
では、何でこんな方法を使うのでしょう?
この掛け糸は足袋を履く場合、相当の力がかかります。
一本の糸が表地と裏地を一緒に縫い付けた時に、ミシンで縫い付けた時より遥かに強くなります。
高級足袋は表地もかなり丈夫です。
この生地がボロボロに為るまで、糸が切れてはいけないのです。
ちなみに、当店の掛け糸の幅は五ミリに為っています。
あえて、五ミリにこだわっているのは、外側の糸にこはぜを掛けても内側の掛け糸が見えないように作っているからです。
この幅が広いほど、足首の融通が利いて万人向きになるのです。
大量生産の足袋は、掛け糸でも、なるべく多くの人に履けるように、又、安くする為の努力で合理的に作られています。
見えない個所にこだわりを込めて、特定の人の為に作られているのがこだわりの品であり、むさしやの足袋もその一つと自負しています。

第六話 外反母趾の話(6月19日掲載)

最近、御誂え足袋を注文為さる方の約4割程度の方に、外反母趾が見られます。
良く、外反母趾はきつい靴や合わない靴を履いた為に起きる。
と、言われますが、当店にお見えのお客様で、和服ばかりで一度も靴を履いた事が無い。
と、言う、お客様に外反母趾が見られた事がございます。
私は、外反母趾に限らず、O脚、X脚や内反小趾も、全て"骨盤のズレ"が原因ではないかと考えています。
この見解が正しい事かどうかは専門家にお任せして、背骨の矯正こそが外反母趾を始めとする、骨の異常に対処する方法では無いかと考えています。
当店までお出で頂ければ、私なりの対処法はお奨めしています。
基本は、筋力を付けて骨盤がしっかりと身体の中心に在れば良いのですが、筋力が衰えて、骨盤がズレた時に各種のトラブルが起きると考えます。
これを防ぐ為に、骨盤矯正と首からの背骨の矯正と筋力強化をする訳です。
これで、外反母趾が治せれば特許物でしょうが、恐らく進行を止める程度の事だと考えています。
指の運動は外反母趾にも効果が有ると思います。
下駄や草履で歩く事は外反母趾の方にとって、かなりきつい事では有りますが、 有効な方法と考えます。
当店でも,外反母趾様の既製足袋を作ってはいますが、外反母趾は親指の第一関節が腫れて、徐々にねじれて行きます。
それも、左右同じでは無く、どちらか片方の進行が早いのが普通で、結局、御誂えの足袋で痛く無いように作るようになります。
第一関節が腫れて赤くなっている時は、進行しているときですから、足袋を作るのは控えた方が良いでしょう。
大体、半年で一旦進行は止まります。
その時に、これ以上進行しないために足袋を作っては如何でしょうか。

第五話 足袋の色、柄の話(5月29日掲載)

現在、婦人用、紳士用共正式の足袋の色は"白"とされています。
これは、江戸時代に大名が江戸城に参内する時に紋付、袴に白足袋の装束で在ったことに由来すると言われます。
ですから、現在、紳士用の"羽織、袴"の衣装や婦人用の"紋付"には白足袋を第一礼装としてお奨めしています。
では、色足袋はどうであったかと言うと、昔は職業により色が決められていました。
"青縞"の生地は藍の匂いを蛇が嫌うことから狩り装束に使い、転じて紺キャラコとして現在に残り、青縞足袋は職人の衣装が藍染めの為職人用足袋となりました。
江戸城内において、例えば奴さんは"紫色"、茶坊主衆は"ウコン(黄色)色"とされていました。
今度、歌舞伎や日本舞踊で『供奴』と言う踊りをご覧になると、奴さんですから紫の足袋を履いています。
又、『助六』と言う歌舞伎で主人公は紫の鉢巻に黄色の足袋を履いていますからご覧になってください。
この主人公は、茶坊主上がりの御家人ですので黄色の足袋を履く訳です。
ちなみに、紫の鉢巻の意味は主人公が頭痛持ちでそのおまじないと言う訳です。
今は、このような規制は無くなっていますので、紳士用"アンサンブル"、婦人用"付け下げ""小紋"等、遊び着どしてお使いの場合、自由な色使いでお楽しみ頂けます。
武士が戦で履く足袋は柄を染め上げた"革足袋"で、これが柄足袋の由来に為っています。
昔は、歌舞伎で若衆の武士は"小桜"や"松葉"の柄を使い、荒武者は"トンボ"や"巴"の柄を使ったものでした。
江戸時代も後半になると、一般庶民にも"ビロード"や"更紗"等の輸入生地で足袋を創って楽しむ人達も現れ、この名残が"別珍足袋"や"コールテン足袋"となります。
このように、正式のエチケットを守らねばならぬ一部を除き、足袋は本来自由に楽しむ事が出来るものなのです。
少なくとも、私達のご先祖様はかなり楽しんでいた様ですね 。

第四話 こはぜの話(4月17日掲載)

甲馳、甲鉤、骨板、牙籤,何と読む字なのか解かりますか?
これは全て"こはぜ"と読みます。
では、"こはぜ"とはどう言う意味でしょうか?
本当の所は私にも解かりませんが、"こはぜ"は足袋だけに使用するものではなく、 手甲、きゃはんでも使用します。
又、本の帙(ちつ)を綴じる為の、象牙や動物の骨で作られた三角の爪も"こはぜ"と呼ばれています。
この様な事から、小さいと言う意味の"小(こ)"と、弾けると言う意味の"爆ぜ(はぜ)"から出た言葉。
甲に掛ける物という意味の"こうかけ"から出た言葉。等が考えられます。
言葉の意味は言語学者にお任せ致しますが、足袋に"こはぜ"が使われたのは実は明治時代になってからのことです。
それまでの足袋は,紐足袋が中心で、大金持ちの商人の中で、象牙で作られた"こはぜ"を使用した例はあった様ですが、今の様に、こはぜの足袋を大量に作られる様になったのは、現在の埼玉県行田市がルーツと言われています。
幕末の頃に、行田で作られた足袋は大量生産で江戸に販売されたそうです。
この時に、こはぜを取り入れ、明治時代に入りこはぜも大量生産で作られるようになり,現在のような形で、行田の足袋として全国に販売される様になってこはぜの足袋が中心に為った様です。
ついでながら、今は四枚こはぜや五枚こはぜが中心ですが、戦前は三枚こはぜや二枚こはぜが中心でした。
今のような色や形がずっと続いている訳ではないのです。
面白いですね。

第三話 足袋の名前の由来 その3(3月6日掲載)

旅から出た説
足袋屋は現在、東京に20数軒、京都に2軒、大阪に1軒在るのは私も知っています。
その他の地方では足袋を売る店が在る方が不思議なのではないでしょうか。
先日も、鹿児島から東京の大学に受かり、四谷に下宿した大学生が旅館と間違えて入って来ました。
"足袋"と"旅"、同じ発音なので良く冗談やとんちで使われます。
当店の看板に"たびの店 むさしや"と書いてありますので、旅館と勘違いして入って来たそうです。
実は、"足袋"の由来は、この"旅"が語源だと言う話が在ります。
昔、旅に出る時には、素足でわらじを履くと足を痛める為に、特別に、皮(鹿皮といわれています)で出来た袋で足を包んで出掛けました。
わらじを履くのですから当然、指は分かれています。
つまり、足袋は日本独特の、特別の旅行道具だったという訳です。
その名もずばり"たび"と言う事です。
足袋の字は足の袋の文字を当て、こう読んだ訳です。
実物が在れば、鑑定して年代も解かると思いますが、博物館の展示品の殆どは江戸時代までです。
平安、室町時代の足袋の情報が在りましたなら教えてください 。

第二話 足袋の名前の由来 その2(3月6日掲載)

多鼻から出た説
足袋の形を見れば、鼻の形に見えない事は有りません。
この鼻が両足揃うと4つの鼻に見えた、つまり"多鼻"という訳です。
あまり言葉に意味は有りませんので、こじつけの様な気がしますが、 真実は闇の中!
もしかするとこれが本当の所だったりして…

第一話 足袋の名前の由来(2月14日掲載)

その1 なんで足袋はタビと言うのでしょう。
それにはいくつかの由来と言われているものが有ります。

単皮から出た説
現在の足袋は親指と4つ指に分かれていますが昔は分かれていませんでした。
その名残が現在でも、宮中や神主さんが祭事に黒い木靴を履きます。(私はなんと言う名前か知りません)その時に、この木靴の下に履く指が分かれていない足袋(襪子「べっす」足袋と言い、通称先丸足袋とも言います。)に今も残されています。
ちなみに、当店でも注文があれば、現在でも作ります。
昔、この襪子足袋を作るために一枚の皮から足を包むように袋を作り(鹿皮だと言われております。)、紐で縛って完成させました。
だから、単皮(たんぴ)がなまって、何時の間にか"たび"になり足の袋、すなわち、足袋の字を当てて"たび"と読んだと言われています。
 
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